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インタビュー

ビリー・バンバン

みんなで力を合わせれば大きな力が生まれる

-菅原孝
僕たちも色々なところでコンサートもやってきてますが、ここビッグアイは、泊まるところも大きなステージもあって、色々な人たちが集まれるこんな場所ってなかなかないですよね。ゆったりしてて疲れないし。空いた目がふさがらない!ビッグアイだけに(笑)

たまたま僕は音楽という道に引っかかって、これで生きているんですが、人間って一人ひとりはちっちゃくて、何の力もないものだと思うんです。それはみんながそうなんです。でもみんなが力を合わせた瞬間に、社会っていうものができあがっていく。すなわち、自分だけが大事なんじゃなく、みんなとの関係を作っていくってことが大切なんだなっていうことを、最近すごく思うんです。

障がい者であるなしにかかわらず、みんなが関わり合って生きている。例えば、身体が動けなくて車椅子に乗っている女の子も、彼女がそばに来てにっこり笑ってくれるだけで、周りの人たちもすごくエネルギーをもらうことができるんです。そういったことをみんなが大事にしていかなきゃ。お互いに分かり合って大切にしていくことによってはじめて、僕らも救われるし、みんなが初めて手を取り合うことができて、一人ひとりではちっちゃな存在の僕たちが、大きくなれるんじゃないかなと思います。
ビリー・バンバンの曲の中に「ボクらはいつも片方の靴」というのがあるんですよ。
僕も君も一緒に力を合わせたから一足の靴になれて、それでやっと前に進んで行くことができるんだねって…。この曲には「みんなで力を合わせようね」っていうメッセージが込められているんです。これからもずっと歌い続けて行きたい曲ですね。

-菅原進
僕は3月に目の手術をしたんですよ。今も実はあまり見えないんです。目の奥に穴があく病気で、3月に手術してから5ヶ月、今もまだぼやけてて片目で見てるような感じなんだけど、今まで当たり前にしてたことが、なにもできなくなっちゃったんですよね。身体も凝ってるし、頭も重たいし、バランスがすごい悪いんですよ。歌を歌う時も、1時間立ってるだけでもふらふらしちゃうんです。自分でどうしたらいいか分からない苛立たしさに悩まされているんですが、それが自分に与えられた試練だと思ってね。でもまだまだそれを認めることができない…。

僕なんかよりもっと苦労されてる障がい者の方はいるし、そこから見たら僕なんて軽傷だと思うんだけど、それでもなにもできなくなっちゃったんですよね。「誰か助けてくれっー」って毎日でね。自立することがなかなかできない。遅いかもしれないけど、障がいを乗り越えることはすごいパワーが必要なんだと、自分がそういう風になってみてやっとわかりました。

僕らは「歌の親善大使」として、ネパールやオマーンなどの発展途上国でもライブ活動をしているんですが、初めて聞いてくれた曲でも歌った後、うわーっとみんなが感動してくれるんです。
小さい時にアメリカの曲を聴いたとき、意味が分からなくても、「わーいいなー」って思ったりしましたよね。ああゆうのと同じで、新鮮な感じで聞いてくれるんです。
喋らなくても歌は世界共通で伝わるもの。これからも音楽を通じて色々な人たちに、感動を伝えていけたらいいですね。

ビリー・バンバン
ビリー・バンバン(しょうの まよ)

【プロフィール】
菅原孝(ヴォーカル)と進(ヴォーカル/ギター)による兄弟デュオ。1969年のデビュー曲『白いブランコ』はいきなりの大ヒット、続く『ミドリーヌ』『れんげ草』などでもヒットを飛ばし、NHK紅白歌合戦に出場するなどフォークのトップアーティストとして活躍。一時解散していたが1984年国際青年の協賛歌『誓います』で復活。精力的にコンサートを行いながら、「いいちこ」のCMソングを手がけたり、ミュージカルやテレビドラマに出演するなど活躍の場を広げる。2003年国際交流基金ロイヤルネパールアカデミーでは「歌の親善大使」としてネパール・カトマンズに招かれるなど、国内に留まらない人気を誇る。愛をテーマに贈るソフトなアコースティックサウンドで、いつも変わらぬ新鮮な感動を呼び起こしてくれる。


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